あしながぐも
山岡晴美はプロボクサーだがあまり強い方ではない。だがそのルックスから半分アイドルのようにメディアにちやほやされてテレビにもよく出ている。
高校3年生なので学業にも忙しくもあるが。
まあボクシング一筋だけでは厳しいなと自分の生活を考えていた晴美にとって、大体の事は順風満帆だった。
手紙が来るまでは。
晴美は父親の賢治と和風の二階建てに住んでいる。庭もありそこそこ大きな家で、敷地は塀で囲まれており入口は一箇所。そこへ錆び付いた赤い郵便受けがある。
そこへ茶封筒が入っており、晴美宛で差出人は書いていなかった。
神経質なのか、元々付いていた封筒の接着面へ糊を執拗に塗ってあるようでハサミで切るしか無かった。
(きっと又、いかがわしい文章でもファンがよこしたんでしょう)
概ねその予想は当たっていた。内容はこうあった。
―――拝啓 山岡晴美様
女性ながらにして、ボクシングの活動。大変素晴らしく思います。
私は残念ながら知的でも、美形でもありません。ですから姿を見せることは無いと思います。
さて、貴方の試合を見ているとまず深呼吸をしたくなります。汗だらけになった貴方の体臭を隅々まで嗅ぎたいからです。しかしリングサイドとはいえ、鉄柵から身を乗り出して貴方に近づくわけには行きません。なのでこうして自分を納得させるしか無いのです。
貴方はよく殴られますね。殴られた瞬間の歪んだ顔、その瞬間に垣間見せる泳いだ目。この一枚を私は奇跡的に写真に捉える事が出来ました。非常に喜ばしい限りであります―――
晴美は封筒に写真が入っているのに気がついた。取り出すとその文章のように殴られた瞬間が絶妙なアングルで撮影されている。
(これ以上変態に付き合ってられないわね)
部屋にあるゴミ箱に全てを捨てようとしてふと気がついた。
(あれ? 宛先は私の名前だけじゃないの。という事は郵便屋さんが届けたんじゃなくて直に投函されたもの? という事は相手は家を知ってるって事じゃない!)
顔を青くして晴美は手紙の続きを見た。
―――貴方はこれを全て読まなければ気が済まないでしょう。その理由は明確。宛先の住所を書いていないという部分から、私が直にあなたの家へ出向いたという事実に気がつくでしょうからね。
話を戻しましょう。正直言えば私は興奮しているのです。貴方がマウスピースをチラチラと覗かせてその美形を少し崩しているギャップでいつも勃起をしてしまいます。それにあなたのダウンシーンは多い。漫画のようにマウスピースを吐き出してダウンする。
そこも写真に捉えましたが、なかなか素晴らしい。唾液の糸をネバッと引いて、男性が溜に溜まった精子を吐き出すかのように豪快にブシャッと吐き出す。
その唾液の糸は途切れる事を知らず、リングの上を滅茶苦茶に跳ねまわり貴方の汚い唾でリングの上は汚される。
そう、男性がリングの上で射精をして精液を飛び散らせているのと何ら変わらない行為なのです。殴られているので被害者であると仰るかもしれませんが、あそこまで唾液を染み込ませたマウスピース、そして唾液自体を吐き出すのは汚い事です。
まずはこうやって貴方を罵りたかった。アイドル路線に走っている貴方もしょせん人間の汚い部分は持っている。どうか舞い上がらないで欲しいという気持ちもあります。
勃起が止まりません。
貴方の歯型でボコボコになっていびつであり、それに唾液や口腔、歯茎の匂いの交じり合ったマウスピースを是非この手に取って思い切り嗅いでみたいのです。
普通はアイドル等には『セックスがしたい』とありますが、まあ私には出来ないのです。
勃起はしていますがね。
どうにかしてそのマウスピースを手に入れたいと思っております。どれだけ臭いんだろう。
もう気持ちが止まりません。
試合後のあなたを好きにしたい。それは無様に負けた貴方でなければならない。
血や唾液を吐き散らしながら痙攣する貴方を見たことがありますが、覆いかぶさりたかった。がぼがぼと泡を吹きながらビクンビクンと痙攣させている体を押さえつけて口づけをするのです。血だろうと唾液だろうと泡だろうと貴方の吐き出すものは全て私の口へ送り込んでもらって結構です。
そして大人しくなってグッタリとした貴方の脇の匂いを嗅ぎます。きっと汗と脇の独自な匂いで臭いのでしょう。出来れば腋毛の処理はあまりして欲しくない。匂いが逃げてしまうからです。それは陰毛もいっしょです。陰毛が汗にふやけて貴方の性器の匂いを吸ってむわっと、むせるような匂いをさせる事でしょう。それは臭ければ臭いほど良い。
臭くて汚い部分なのは間違いありませんから。
さてここで迷います。ダウンしている貴方からグローブとスパッツを脱がすか、あえて付けたまま体中を舐めまわすか。本当に迷います。
これらは夢物語ですが、いつか実現させたいと思います。
長文になりましたがまとめます。要するに貴方は美しくも汚ないのです。
決してアイドルに身を投じて自分を偽ってはいけません。
必ず必要なマウスピースでさえ唾液でびっちょびちょにして、そんな臭くて汚いものをセコンドに洗わせているのですよ? まあ個人的には洗わずにどんどん唾液を染み込ませた、軽くひねれば唾液の滴り落ちるようなマウスピースが好みなのですがね。
と、まとめるつもりが矛盾した意見を長々と書いてしまいましたね。
自我がなかなか保てないのです。
勃起が止まらないのです。
だけどセックスが出来ないのは残念です。
臭い匂いに狂いたい。
またドピュッとマウスピースを口から無様に噴射させる姿を見せて下さい。
あしながぐもより
―――敬具
「変態だわ、家も知られてるみたいだし、どうしよう」
不安ながらも翌日になり、晴美は高校へ行った。
「顔色悪いよ?」
親友の三田泰子が話しかけてくる。本当に親友ともいえる隠し事をお互いに一切しないピュアな関係だ。泰子にならば不気味な手紙の相談をしても良いと晴美は思った。
受け取った手紙を見てしばらく泰子は考え込んでいる様子だった。
「ぼっき。なんて堂々と書くものねぇ」
「ファンレターにまざってるその類のものには大抵勃起の事は書いてあるからさ」
「へー、アイドルも大変ね。アイドルやめてボクシング一直線で行ったら?」
「うーん、でもアイドルも捨てがたいしなぁ」
「何が捨てがたいの? 若いからちやほやされてるだけでしょ?」
「ムキにならないで、本気で相談してるんだから」
「うーん、まあアイドル路線は気に入らないとして、あしながぐもって名前もセンスないわね」
「名前はいいからどうにか解決したいのよ!」
「うーん、私も色々考えて、まとまったら連絡するよ、それまで頑張って、晴美」
「頑張るっていったって……」
「そう、晴美、大人の力も必要になると思うからお父さんの携帯番号も教えておいて? 絶対にアイデアを振り絞って犯人を捕まえてやるから安心してね!」
晴美はとりあえず相談というより心配事を泰子に話すだけの結果になったが気持ちは少し楽になった。警察に言おうとしたが、軽いイタズラだと見られる可能性もあるのでほうっておいて良いかなとも思っていた。
帰って郵便受けを見てゾクッとした。
茶封筒に晴美の名前だけが書かれている。間違いなく同一人物だろう。
急いで部屋へ行くとハサミで開封し、手紙を取り出した。
―――人に言うなとは言っていませんが、あまり話を大きくしたくありません。ですからあまり他人にこの話を漏らさないで下さい。
確かに卑猥な事は実行するつもりです。ですが話を大きくすれば貴方は更なる被害を受けるかもしれない。私はただ、貴方の負けてボロ雑巾になった姿、その傍らに虚しく転がっている唾まみれのマウスピース。
そんな様子を見ながらあなたを舐めたいだけなのです。
挿入してレイプする訳ではありません。匂いを堪能したいだけなのです。
見ていますよ。ひょっとすると貴方の部屋の天井の小さな穴から? 教室のあなたの机に盗聴器? さてどうなんでしょうねぇ。
こうやってあなたにしてやったりと思う瞬間にも勃起してしまうのです。
一度で良いです。一度堪能すればもうあなたの人生にはかかわらないと約束します。
ですからどうかご内密に、そして舐めさせて下さい。
とりあえずもうすぐ私は正体を表します。
そうだ、マウスピースを、練習時に付けた使用済で良いのでもらえませんか? 過剰に唾は付けなくていいのでナチュラルなものを、ビニール袋にくるんで紙で包み、郵便受けの上へ置いておいてもらえますか? 今日の深夜取りに行きます
あしながぐも ―――
晴美は犯人を知るかっこうのチャンスだと思った。郵便受けは自分の部屋の窓から見れる。そこを写真撮影して警察へ突き出せば一件落着だ。
一応、この作戦が失敗して犯人が怒って妙な行動をとらないようにマウスピースは本物を用意した。
そしてコーヒーをがぶがぶ飲みながら犯人を待つ。
うとうとしていると人影がチラついた。
部屋から父親の賢治が出てくる。
(え? お父さん?)
そして間違いなくそのブツを持つと家に帰った。
これにはショックだった。
自分の父親が娘のボクシング姿に欲情している。
そうか、そうなのか。だからセックスは出来ないんだ。
子供が出来ると最悪の自体になるから。
晴美は父親の事が好きだったが、全身を舐められる事を想像すると、おぞましく思い鳥肌がたった。
だが問いただせない。今だからこそ危ない。深夜に二人きり。きっと押さえつけられる。男性の力には勝てない。とりあえず部屋の鍵をしめて、何を言われても無視しよう。
「なあ晴美?」
案の定、父親が声をかけてくる。正体を表す気か。何も聞こえないふりをして……寝たふりをしてしのごう。
どうかお父さんが襲ってきませんようにと思いながら晴美は布団の中で一晩中震えていた。
翌日、目の下にくまをつくって晴美は学校へ行く前に交番へ行った。
そして相談したのだが、何故か警察は相手にしてくれない。
「父が私を……舐めるとか言ってるんです!」
必死に言うが
「はいはい、忙しいからね」
と簡単に返される。
仕方が無いので学校へ向かった。
泰子が心配そうに寄ってくる。
「晴美、ちょっと真剣に相談しよう? 放課後ボクシング部の練習が終わったら屋上で待ってる。」
「うん、犯人わかっちゃったんだけど」
「え? 誰?」
「お父さんだった……」
「……ショックだったろうけど警察も相手にしてくれなかったんでしょ? 怖いけど私たちで何とかしなきゃ……頑張ろう?」
晴美は賛同し、ボクシング部でハードな練習をした後、屋上へ向かった。
ふらふらする。肉体的にかなり疲れているが、あしながぐもである父親の問題で頭がいっぱいになり頑張らなければと思う。
そして屋上に向いながら携帯電話で父親の賢治へコールする。
すぐに通話になった。
「……お父さん。私に変態的な行為をするのをやめて。でないとこれから本当に警察に行くよ……」
「は?」
「は? じゃないでしょ。私のマウスピースを指示して置かせて持ち逃げしたでしょ」
「いや、非通知で携帯に電話があって置いてあるものを取れって言われただけだが。それで爆発物だと怖いから警察へ持っていったんだ」
「え?」
「そしたら警察さ、あなたのところの娘さん、統合失調症で精神を病んでいて虚言をよく言うらしいですねって言われたんだ」
「虚言……?」
「うん、何だかお前の同級生とか言ってたらしいんだがな」
それで警察に相手にされなかったのか。
だとすると。
そういえばさっき、警察に相手にされなかったってあの子は知ってた。
気がつくと屋上のドアの前へ晴美は立っていた。
がちゃり、ぎぃぃぃぃ。
泰子があざ笑うようなふてぶてしい顔でこちらを見ている。
「クリトリス、勃起しちゃう。きっちり練習して来たみたいで汗だくね、ははははは」
「や、泰子……」
「改めまして、あしながぐもです」
泰子は貴族のようにさっと礼をして見せた。
END