「明日菜の試合はっと、これからか丁度良い」

兄はそう行って弁当の包を開いた。

「和風か、うむ、タケノコの中に五目ご飯が入っておりなかなかのもである」

そう言いながら試合のプログラム表を見る。

「何だ1試合目か、明日菜は。なになに? 相手は川越。ドSって情報が載ってるな。

ある意味明日菜はMだから丁度良いだろう」

 

妹である明日菜は負け続けているが何故か人気はある。

負けっぷりが見事なのだろう。

後は可愛いのに必要以上にマウスピースがでかい。

これによってもっこりとした口と普段の顔のギャップが良いのだろう。

セコンドは明日菜の妹である紗菜。

紗菜はわりと明朗ではっきり者を言えるので、口数のあまり無い消極的な

明日菜の良いサポートになっている事だろう。

 

ゴングが鳴り、ザワザワしていた観客が程度良くヤジを飛ばす。

やっちまえ、一気に行け! 潰せ。

「やっちまえ」と「潰せ」は明日菜の相手の川越へ向けられている。

やっちまえ、ボッコボコにしちまえ、と。

 

「おねえちゃーん、新ワザがあるんでしょ?使ったらいいのに」

紗菜に明日菜は少しイラッとした。

「あの……ワザとかって、確かにあるけど相手に聞こえたら警戒されるだけだよ」

「おねーちゃん大丈夫! 一歩出て一回転横へグルリとまわって少し相手を驚かせた後に

最後にもう一歩出る! この不意打ち作戦はきっと成功するよ!」

 

「だから、そうやってべらべらしゃべるから相手にバれるんでしょう(イラッ)」

「大丈夫、おねえちゃん。避けられないのが必殺技だから!」

「うーん、もうやけだよ!」

明日菜はダッとダッシュして相手に向かい、目前でクルッと回転してそこから一歩前へ出た。

川越の目の前へいきなり姿を見せる事となる。

 

「へぇー、いざやるとなかなか奇抜な技ね」

川越はほんの少しだけ感嘆の声を出したが、距離を詰めたままの打ち合いでは一歩も引かない。

逆に自分のテリトリーへよくぞ入ってきたとでも言うように歓迎され殴られている。

顔中心にボコボコと殴られ、飛鳥の足は完全に固定されたように動かず、殴られるたびに上半身のみが

顔が弾き飛ばされて傾く。

 

ぐっしゃぁっ!

 

明日菜の口からダイアモンド・ダスト現象のようにキラキラと光った唾液がリングの上へ広がり散った。

「私にはかからないようにしてね、臭いから」

川越はそう呟くと左右へ大ぶりなフックを打つ。

二度目のダイアモンドダスト。それに血が混じってキラキラ度が増している。

「まあ綺麗。今度は花火のようにクッソ汚いマウスピースでも吐き出してくれるのかしら」

川越が余裕の声で言う。

ぐっしゃぁぁぁぁぁ!

 

ほぼ血で構成された唾液がぶちまけられる。明日菜の顎はアッパーで吹き飛ばされていた。

そしてボタボタと血と唾液が降ってくる。

 

「あらこれじゃ傘を用意しておかないと汚いモノを浴びちゃうわね」

そう嫌味を言うわりには川越は両腕を広げてその液体を体中に浴びている。

「あら、肝心のマウスピースが降ってこないわね。せっかくのもち投げ気分だったのに。

 

明日菜の口からは大きなマウスピースの為、マウスピースが吹き飛ばされるのを拒んでいた。

もう少し強くパンチを喰らえば飛び出ていたが、大きなマウスピースは踏ん張った。

それをくわえなおし、明日菜はファイティングポーズをとる。

「ナイスファイトね」

川越がそう言って襲いかかってくる。

アッパーで脳を揺らされた明日菜はフラフラと動いており、思ったように踏ん張れない。

数発のパンチを防ぐがすぐにロープ際に追い詰められる。

「さすが人間サンドバッグと呼ばれているだけはあるわね!」

川越のその言葉に明日菜はムッとしたが、抵抗出来ない。

(好きでこんなやられ役やってるんじゃないわよっ! 何か手は……)

必死にガードをしながら紗菜を見る、客観的に何かアドバイスをしてくれないだろうか?

紗菜にチラッと明日菜は目をやる。

『万策尽きたね』

と書いた紙を手に持っていた。

(期待した分損した……)

明日菜は諦めてガードに徹した。

ドブォッ!

明日菜のボディにパンチが突き刺さる。

(無様な姿は見せられない、そろそろ強い私にならないと)

そう思った瞬間、胃から熱いものがこみ上げてきた。

「うげぼっ!」

マウスピースと口のはしの隙間から胃液が吹き出した。

それは酸味がかった匂いを放ちながらビチャビチャとリングの上へぶちまけられる。

 

「なんか酸っぱい匂いがする。それ唾じゃなくて胃液ね、子供風に言えば『ゲボ』っていうわ」

そう言って川越は執拗にボディを打つ。

どむっ、どむっ、どむっ……。

「ごぽぇっ!」

更に明日菜は胃液を吐き出す。

「ほら、リングの上が『ゲボ』まみれになっちゃうじゃないの、きったないわねぇ」

「ごぶっ、ごぶぇっ、ごぶぁっ!」

バシャッ、バシャッと胃液は胃が空になるまで吐き出された。

「もう吐き出すものは無いわねぇ」

川越は嬉しそうに言う。どうやら真正のサドらしい。

「ごはっ、ごはっ」

明日菜はむせる。ただ立てている事だけが不幸か幸いか。

そんな中、観客が興奮しているのでレフリーもあえて止めないのであろう、川越が明日菜の顔面を

執拗に殴る。

ガシッ!

「うぐっ!」

首が座っていない赤ん坊のように右フック、左フックを受けるたびに顔が持っていかれ極限までのけぞる。

それでも明日菜は倒れない。

だが顔はぼこぼこに腫れ上がり内出血を起こし、鼻血がとめどなく流れている、無様だ。

片目は閉じている、というか閉じられている状態でぽっこりと盛り上がっていた。

「かはっ、かはっ!」

明日菜がむせる度に血がピッピッとリングの上に飛び散る。そして鼻と同じく

口からも血を滴らせるのであった。

「こうやって話をしながら余裕に試合が出来るなんて、アナタの試合相手って恵まれてるのね」

蔑むように川越は言い明日菜へ近寄り、頬へストレートをうち下ろすようなパンチを打つ。

ぐっしゃぁっ!

「ぐぅぇっ!」

明日菜は晴れ上がった目のまわりのせいで視界が悪い中、鋭い痛みと衝撃に声をあげた。

誰もがフィニッシュはどうするのか、といった様子で試合を見ている。

 

「残念ながら妹。タケノコの時期とは少し違うようで風味があまり宜しくなかった。

それとこの試合だが、『案の定』という事だ。想定内だろう?」

兄はそう言うと弁当を包みごと地面に叩きつけた。

 

 

「さて、唾と血と『ゲボ』にまみれてまだ吐き出していないものなーんだ?」

川越が言う。それは間違いない。白い口の中のそれだ。

「うーん、ボディ、アッパー。どうしようかな。フィニッシュは射精みたいにその口の中の白くて

汚いのを無様に吐き出して欲しいのよね、どうがいいかしら?」

 

(くそっ! 負けていられるかっ!)

明日菜は奇襲に出ようとストレートを打つが、カウンターの形でボディを打たれる。

「ごべっ!」

マウスピースが上唇を押しながらニュルリと飛び出す。

 

「フックで飛距離を飛ばすのがいいわね。それだけモッコリとマウスピースがはみ出てたら飛ぶでしょう」

 

「や、やめ……て」

 

最後の『て』を言おうとした瞬間に左頬へ強烈なフックが突き刺さった。

「げぴゅぅぅぅぅぅっ!」

血、唾液、胃液、様々な粘液をまとってマウスピースが吐き出されリングの端から端まで吹き飛ばされる。

ベチャッ、ベチャッという音がするがそれは場外からだ。

リングの外でマウスピースは狂ったように粘液をまき散らせながら跳ね回る。

「表は晴れで裏は雨♪」

川越は楽しんでいるように言いながら明日菜の吐き出したマウスピースの方へ向かった。

 

「あ、だめだ、血みどろでどっちが表かわかんない、とりあえず明日の天気は曇ねっ♪」

 

そう言われた頃には明日菜は膝をついて倒れる瞬間だった。

マウスピースが己の魂だったように。

吐き出されたのが魂だったように。

そして魂が抜き取られたように。

 

意識は遠くなった。

 

 

「タケノコって季節モノか?ちょっと早くないか? それにしても兄としてはまあ、負けて人気が出る妹で良かったよ」

兄は弁当を食べ終え、腹をさすった。