「これが五右衛門風呂ですの!?」

温子ははしゃいでいる。これが鮫嶋の部屋だ。

10疊程の大きさだろうか。

コンクリート生で窓こそはめ殺しで入っているが

木材を全く使っていない部屋は夜になると冷える。

生憎、火事の心配は得に無いので焚き火のような形で小さな木の破片を

ぱちぱちと燃やして暖を取る。

そして何もない部屋の済にベッドとソファと、水だけ出る洗面所、そして一応個室になっているトイレ。

小さい冷蔵庫が一つ。

「ベッドが一つ! 鮫嶋さんといっしょに、くっついて寝るのですね!?」

「お前は小学生か、何を興奮してんだ」

鮫嶋は頭を抱えて蹲りたくなった。温子の勢いが凄かったとはいえ連れてくるのでは無かった。

そう思っていると温子から提案があった。

「コンビニがすぐ近くにありましたよね? 食材を買ってきて調理させて頂きますよ」

「とは言っても……火なんてこんなに燃えててフライパン扱うには危ないし、弁当でいいんじゃね?」

「そこは色々と工夫させて頂きます。そこのコンビニってカード使えますよね?」

「使える……かもしれないけど、お前何を作る気だ? 明日は試合だし、適当に食って早く寝ないと」

「勝利を目指しつつ、親睦を深めるのも大事です、はい。では行って参ります!」

「おい、ちょ……」

鮫嶋は半ば無視され、温子は駆け出してコンビニへ向かった。

冷蔵庫からビールを取り出すと鮫嶋は喉を鳴らして一気に流し込んだ。

 

 

鮫嶋の部屋からコンビニにかけての距離は近いが、男達に囲まれたのはすぐだった。

「温子さん、来て頂けませんかね?」

そういう男の目にギラついた様子は無い。強盗等の類では無さそうだ。

「……私に何をする気か知りませんが、私の体内にはGPSが入っているのでそうそう問題は起こせませんよ?」

そう温子が言うと、男の一人がナイフを瞬時に取り出した。

「そうですか、ではそれを抉り出しましょう。脳ですか? それとも胸ですか?」

ハッと温子が怯むとナイフを持った男は笑った。

「私達はそこまで馬鹿じゃありません。ただ来ていただくだけで良いんです」

D地区の地下ボクシング運営のボスあたりでしょうね、きっと私と鮫嶋さんに負けろとも言う脅しを

かけるんでしょうね」

温子はそう言って紙を手でとかすようにする。目は覚悟が決まっているかのようにその男の目を見つめている。

「凄い目をされますね……只、世の中はそこまで話は簡単に出来ていないのですよ」

「そう、じゃあ行ってもいいけど、きちんとした高級外車に乗せて頂けるんでしょうね」

囲まれている男達の数を考えて逃げたり出来ないと理解すると、温子は諦め、そう毒づいた。

「勿論で御座います、そこに止まっている車、誰も社内で煙草なんて吸いませんし音も静かで速やかに

送迎させて頂きます」

「結構。で、行き先はD地区のボスの所で間違い無いのね?」

「はい、仰るとおりです。それでは来ていただけますね?」

「じゃあこれ」

「は?」

温子は手に持ったメモを取り出して突き出した。

「ジャガイモとか書いてありますが」

「今夜のご飯の食材なの。時間は限られるから、貴方達の誰か。揃えておいて」

「は、はぁ。わかりました、おい」

一人の男がメモを受け取った。

そして車に乗せられると温子は目隠しをされ、車で運ばれた。

 

 

車を降りるとコツコツと石の床を踏みながら大きそうな建物の中を歩かされる。

「まだかしら?」

「もうすぐです。まあもう建物に入りましたんで目隠しだけは取らせて頂きます」

温故は目を数回パチパチした後に周りを見渡した。

いかにもお金をかけていそうなビル。人間工学に基づかず、高級さだけを出した造りだ。

そしてエレベーターに乗ると5Fで降り、まさに社長室ともいうような部屋へ通された。

漫画でよく見るように中年の男が高級そうなデスクに座っている。目がギラついて頭は禿げ上がっており

温子が来たのを認めると、デスクの上の箱を開けると太い葉巻を取り出して銜えた。

「服に匂いが染み付くのはあまり好みませんの」

温子が言うが、その男は無視をして火を付けて口の中に煙を含むとゆっくりと煙を吐き出した。

「葉巻を肺まで吸う人間がいるそうで、全く間違っている人間が多い。

中肉中背の背広を着たその男はゆっくりとそう言った。

「時間が有りませんの。臭い煙は浴びるわ拉致されるわで散々ですね」

「そう毒づかないで下さい。どうぞ、ソファにお座り下さい」

「どうも」

温子はソファに座ると深く溜息をついた。

「お話としては、新人賞を諦めろとかそういう類のお話かしら?」

そう言ってデスクの男を一瞥する。

 

「成る程。たったあれだけの金の為に妨害をされていると仰るのですか」

「違うのかしら?」

「まず私はこの街の地下女子ボクシングD地区の経営社長の和泉と申します。

「和泉……さん?」

「はい、陽野 温子さん。私が紳士である事をまずは判っていただきたい」

そしてその言葉に不釣合いな歪んだ笑顔を見せる。

「和泉さん、お話を簡潔にお願いします」

そう言われて和泉は目をギロッと動かした。

「お金はどうでも良いが、あなたがD地区、いや、女子ボクシングでのさばるという事は私にとって

非常に都合が悪いのです、お金なら払いますから辞退して頂きたい」

「お断りします」

 

「では、青空美由紀さんというお名前を出してはどうでしょう」

和泉のその言葉にビクッと反応した。

「どうでしょう、そして鮫嶋 鋭さんとの過去の関係も掴んでおりますのでそれも含めて……」

 

一気に温子は嫌な汗をかき始めた。

 

「貴方の目的は?」

「それは勿論……」

和泉は葉巻を口に含む。

そして又、ゆったりと煙を吐き出した。

A,BCD地区を統一して支配したいので、その結果についてのアクションの一つだと思って頂けたら」

「嘘ね!」

温子は少し冷静さを欠いたように叫んだ。

「どう思われようが構わないですがね」

和泉はゆったりと葉巻を楽しんでいるようだ。

「ひょっとしてあの方への個人的私怨では無いのですか?」

そう言われて和泉は眉をひそめた。

「ふーむ。さすがに馬鹿とは思っていませんでしたが……」

こころなしか葉巻を吸う間隔が早くなっている。

「兎に角!」

和泉は葉巻を灰皿に押し付けて火を消して言った。

「明日の試合とは言わず、今後一この世界から手を引いてください。そうしなければ

貴方は鮫嶋さんの心と青空美由紀さんの心を失う事になりますよ。

 

話はそのまま打ち切られ、温子は元の場所へと戻された。

「食材です」

男にそう言って野菜等を渡され、路地に一人になったが温子はその場に立ち尽くしていた。

 

 

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