《祭》

静子は立ち上がった。

カウントは7だが、それはどうでも良かった。

(クソ女!クソ女!クソ女!)

「出来ますか?出来ますか?」レフリーの女子生徒が必死に言っている。

「邪魔!」それを静子は跳ね除けた。

 

一之瀬は手元のストップウォッチを見た。

三分まであと30秒ある。

「長いな・・・」そう言って額の汗をぬぐった。

(さっきの加奈の裏拳は、本当にまぐれだ・・・まあそれが相手に精神的ダメージを与える事にはなったんだけど・・・)

一之瀬の思っている通りだった。

加奈の、後ろからの攻撃を避ける〜裏拳までは完全なまぐれだった。

 

(叩きのめす・・・叩きのめす・・・)静子は空手の構えになった。

 

(やばいな・・・精神的ダメージはこいつには関係無いかもしれない・・・香奈ちゃんを病院送りにするわけにはいかないし・・・)

そう思うと一之瀬は再度タオルを手に持った。

(悪いけど、本当にやばかったらすぐタオル投げるからね・・・)

一之瀬はいつの間にか冷たい汗をかいている。

残り20秒。

時間はあり過ぎた。

 

ドスッ・・・

 

物凄い速さで加奈のボディにパンチが突き刺さった。

「ぐ・・・は・・・」

加奈が一歩下がって、嘔吐でもするように舌を出した。

ズン・・・

ボディの同じ位置に、再度静子のパンチが。

今度は相当に力を込めたらしく、加奈は苦しそうに体をかがめた。

「クリンチ!」一之瀬が叫ぶ。

夢中で加奈は静子に抱きつこうとした。

(触るな、クソ女!)

静子は向かってくる加奈の顔面に真正面からパンチを入れた。

グローブを引く静子。それにべっとりと血が尾を引いた。

フラリフラリと、加奈は倒れずに立っている。

 

残り10秒

 

グシャッ!!

リングの上にみずみずしい果実の潰れる音がした。

完全に空手の型のストレートが加奈の顔面に埋まっていた。

 

(何人も病院送りにしたパンチ・・・悪いのはアンタよクソ女!)

加奈は

 

中腰で立っていた。

「あんた凄いね」

加奈の根性に押される事無く、静子は冷静にそう言った。

そして

加奈の背中にエルボーを落とした。

ドンッ!と音がして、加奈は急に息苦しくなるのを感じる。

完全な反則だ。だが静子はボクシングで叩きのめす気は無かった。

反則になろうとも、叩きのめしたかった。

「げほ・・・」加奈が苦しそうに咳き込む。

口からは血の糸と唾液がツツーと落ちる。

(もう、さっきの、まぐれを起こす事は出来ないな、これで勝ちは確定)

そう思った静子は。最後の一撃を何にするか考えた。

 

カーン

 

1ラウンド終了のゴングが鳴った。

 

(関係無いね、あと一撃で終わるんだからおわらしちゃいましょ)

静子は聞こえないフリをして思い切り下からのアッパーを打った。

何の音も加奈には聞こえなかった。

静寂の中、自分がアッパーで舞い上がる感覚だけは判る。

(やっぱり負けるのか・・・)加奈はもう終わりだと思った。

一之瀬もタオルを投げようとしている。

加奈の体はマットに・・・

 

 

叩きつけられなかった。

加奈は上手く着地して立っていた。

(何の為に、ここまでして立つんだ!?)静子は驚くよりも呆れかえった。

それは自分が絶対的に勝てる立場にいるからこその呆れだった。

 

一之瀬はタオルを握り締めて投げようかどうしようか戸惑っている。

「フン!」

静子はそう言うと自分のコーナーへ戻って言った。

タオルを投げるより、加奈の体をまず見よう。一之瀬はそう考えて、フラフラコーナーへ戻ってくる加奈を待った。

 

静子コーナーでは、静子はピリピリして椅子に座っている。

「どう?信夫さん、圧倒的に勝つ・・・っていうかもう2ラウンド目に入れるかどうか加奈さんも判らないけどね」

静子は言い放った。

 

「好かん」

「え?」

信夫の言葉に静子は驚いた。

「お前は好かん」

「え?なんで?なんで?」静子は叫んだ。

「お前のやっとるのはスポーツじゃない。反則してでも勝ちたいんか」

「信夫さん・・・ハハ、これは作戦だから。ボクシングのルールが無い以前に、減点とか点数で勝ち負けを決めるシステムも無いしね」

「・・・」

信夫は何の言葉も返してくれない。

 

 

加奈サイドでは、保険教師が加奈をチェックしている。

「こりゃひどいね・・・」

「タオル投げた方が良かったでしょうか・・・」一之瀬は申し訳なさそうに教師に答える。

「試合はもう無理でしょう」

その言葉に、加奈もガックリと肩を落とした。そして

「もう終わりなんですね」というと、体中の力を抜いた。

意識がブラックアウトする。

「かっ・・・加奈ちゃん!?」一之瀬がその様子を見て、驚いて声をあげた。

加奈の閉じた目を指で開くと、瞳孔が開いていた。

「とりあえず保健室に運んで、救急車を呼びましょう」

保険教師はそう言った。

「相手が強すぎたんだ・・・」一之瀬もあきらめている。

 

加奈は朦朧とした意識の中で、自分を振り返っていた。

孤独。

孤独。

孤独。

(いけない・・・いけない・・・)

加奈はフッと気がつく。

「あ、気がついた・・・試合はもう終わりってことに決まったよ、寝てていい」

 

 

「−午後の部の女子ボクシングは、危険と判断された為に中止とさせて頂きますー」

そう、校内放送が流れた。

(まだ終わるわけにはいかない・・・終わるわけには・・・)

加奈は勢い良く椅子から立ち上がって両手を挙げて

「逆転劇が見たい人!」

と叫んだ。

 

戸惑いの空気がギャラリーに流れる。

が、拍手が少しパラパラとする。

じきにそれはほぼ全員に伝わり、大きな拍手喝采となる。

困ったのは学校サイド。

大怪我や入院でもあったら、学校側の名前に傷がつく。

生徒会や教師が集まって話し合いをしている。

 

カーン

 

急にゴングが鳴った。

皆の目線がそちらへ向いた。

静子だった。

そして(さあ、やりましょ)という目つきで加奈を見る。

加奈はフッと笑ってリング中央へ出ようとした。

「わかった・・・とりあえずマウスピースだけ付けて・・・」一之瀬は加奈の口に、洗ったマウスピースを咥えさせた。

静子はゴングのある場外からリングの上へと戻ってくる。

そしてノーガードで加奈の方へ歩いてきた。

「あんた今までで一番だわ」

静子は加奈にそう言うと、フーとため息をついた。

「一番?」加奈は不思議そうに言った。

「ああ、ほんと。一番やっかい」

そう言うと、静子は空手の型に構えた。

 

「−女子ボクシングは終わりです、選手、ギャラリーの皆さんは解散をお願いしますー」

校内放送は全員無視をしている。

誰もが結末を見届けたいのだ。

 

「圧倒的な差で私が勝ってる、判る?」

静子は挑発に出た。

それは少し加奈に攻撃をさせて、パターンを読む。

完全に加奈を封じる為の作戦だった。

 

しかし加奈は挑発に乗らない。

ジッと静子の構えを睨んでファイティングポーズをとっている。

(ジャブでもこっちから打ってみるか?)

静子はジャブを何発か打ってみた。

加奈の顔にピシッ!ピシッ!とヒットする。

(攻撃もガードもしない?)

静子は初めて出会うファイティングスタイルに戸惑いを覚えた。

(ま、ストレートでまたダウンさせりゃいいか)

静子はストレートを放った。

 

加奈の目が光る。

 

加奈は初めてボクシングらしいフットワークでそれをかわした。

そして静子の横へ滑り込む。

静子が気づいた時には、加奈の拳が上から飛んでくる所だった。

「うおおおおおぉぉぉぉ!」

加奈は叫んだ。

 

メリ・・・

静子の顔面にパンチが当たる。

そのまま加奈はパンチを振り下ろす。

 

ダーン!と音がして静子は、仰向けにマットに叩きつけられた。

「ぐあっ!」

静子は悶絶の声をあげるが、すぐに立ち上がろうとする。

だが足が言う事をきかない。

(やばい・・・やばい・・・やばい・・・)

静子は必死に加奈にクリンチした。

「くっ・・・」静子の目は焦点が合わない。

抱きついていると、女性独自の甘い匂いと、汗の酸っぱい匂いが漂ってくる。

静子はその匂いで、初めて人間と戦っているという事を試合中に感じた。

今までは一撃必殺。汗もあまりかかずに相手をぶちのめして来たので意識していなかった事だ。

足腰に力が入るのを感じると静子は自分からバッと離れた。

どんっ!

「あ・・・」

静子は背中にコーナーポストが当たる感触がした。

(クリンチしている間に移動された?やばい!?)

静子の頭の回転が一瞬鈍った。

 

どすっ!

 

その隙を狙って、加奈は静子の鳩尾にボディを打ち込んだ。

「ぐぇ・・・・」

静子がマウスピースを吐き出した。足元にビチャン!と音をたてる。

連続で、今度はストレートを静子の顔面にぶち当てる。

「ぶっはぁぁぁぁぁ!」静子は大きくのけぞって、場外へ血しぶき、唾液を散らす。

たまらずに静子は再度、加奈にクリンチをした。

(体力を回復しないと今はマズい・・・)

静子は追い詰められてしまった。

(そうだ)

静子はクリンチから頭をあげて起き上がる形になる。

ゴッ・・・・

その際に頭がアッパーのように加奈のアゴにヒットした。

 

「きったねえ!」一之瀬が叫んだ。

 

「あ・・・あ・・・」加奈が目を泳がせてフラフラしている。

 

「焦ったよ、本当に焦った・・・やっと終わりだ・・・」

疲れたように静子が言う。

 

「確実にこれで病院送りになるけど、まあカンベンしてね」

静子はゆっくり型を構えた。

そして何人も餌食にして来た正拳突きを打ち放った。

 

加奈はのけぞってそれをかわした。

そして体を元のように戻す。

 

目の前に静子の顔がある。

そして彼女の腕は伸びきっている。

 

それは加奈にとって、サンドバッグのようにたやすく殴れる状態だった。

静子が恐怖にかられるのは小学生ぶりだ。

「あ・・ああああ」静子は怯えた声を出して、ガードするのも忘れていた。

 

メシッ・・・

 

これ程かという位に静子の顔面にパンチがめり込む。

ストーンと静子は腰から落ちた。

(え?私って天才空手家じゃなかったの?・・・これって殺される?)

静子の心の看板がパキーンと音をたてて真っ二つに割れた。