《祭》

ひょっとしたら静子をマットに沈める事が出来るかもしれない。

加奈は静子がダウンしている間、一気にたたみかけようと頭の中でシミュレーションをする。

(暑くてだるい・・・)加奈の考えはまとまらない。

「とっ・・・」その上、足元がふらついて倒れそうになるのを踏ん張る。

 

(おかしいな?)一之瀬は妙に顔色の悪い加奈を見て不思議に思う。

やたらとフラフラして倒れそうな加奈。

静子はゆっくりとだが、真っ直ぐに立ち上がろうとしている。

(勝ちをあせって気を抜いてるのかな・・・何だかおかしいぞ)一之瀬の不安が大きくなる。

 

静子が立ち上がって加奈と向き合う。

加奈は熱っぽくだるそうに息をハァハァさせて、とてもパンチを打って特攻して来る様子はない。

(打ってこないな・・・)静子は少し左右に動いてみた。

その動きについてこようとする加奈はその度によろける。

 

静子はその時、気づいた。

(保険がちゃんと効いてたじゃない)

 

一之瀬は、加奈の食らったパンチを思い出してみた。

ここまで急な変化をもたらすパンチは食らっていない・・・

だが加奈の様子は明らかにおかしい。

 

パン!

静子が適当にパンチを打つ。

「ううっ!」くぐもった声を出して加奈は倒れそうになる。

(気持ち悪い・・・)

加奈がグローブを口に当てる。

「吐いちゃうかい?」

静子が言うと、加奈がひざに両手をかけてかがむ。

「うべっ・・・」

加奈はマウスピースを吐き出した。

ボトン・・トンとマウスピースは跳ねた。加奈はまだハァハァと息を荒げている。

そして

ゲピュ・・・

と少量ほどだが、胃液を吐いた。

 

「わかった!」一之瀬が叫んだ。

 

「1ラウンドのボディを打った時、グローブの中では手の形を手刀にしてたな!

それがアバラをかすめて、骨折はいってるかどうかわからないが、骨にダメージを与えたな!」

一之瀬は悔しそうに叫んだ。

 

 

「よく出来ました。全てはこの学校側の用意したガバガバのボクシンググローブを呪う事ね。

 一日休養とらないとダメージは回復しないと思うわよ?タオルを投げるのが懸命だと思うけどね」

静子は一之瀬をせせら笑うように言った。

 

 

「そう・・・」

リングサイドで試合を観戦していた保険教師が黙って手に持っていた箱をあけた。

今探しているのはバンソウコウや消毒液では無い。

自分が保険教師でいる間は絶対使わなかったであろう、注射が二本。

それを持ってリングへ向かう。

「センセそれは?」一之瀬が問うが、そのままリングへ上がる。

「加奈さん、おいで」

「?」

加奈は意識が朦朧としている為によく理解していない。

教師は自分から加奈に近寄ると、「ちょっと痛いわよ」

そう言うと注射を一本打った。

「先生?何してるんですか?」静子の言葉は無視された。

もう一本注射が加奈の腕に打たれる。

「よし」

そう言うと今度は加奈の体を色々とチェックし始めた。

 

「先生、邪魔しないでもらえます?」

静子がイライラしながら言う。

「こうでもしなきゃフェアじゃないでしょ、ドクターチェック、それに」

「それに?」

「痛み止めと熱さましの注射」

 

(マタ邪魔がハイッタ)

静子はためらう事なく、保険教師にパンチを打った。

 

パン!

 

一之瀬がリングの上にいた。そして右手で静子のパンチを受け止めている。

「よう動く右手じゃの」一之瀬が静かにそう言って静子を睨みつける。

静子は一瞬その迫力に体が動かなくなった。

 

「よーしこれ大丈夫、加奈さん、思い切り試合を続行しなさい」保険教師が加奈の背中をパンと張る。

保険教師は一之瀬にボディガードをされるような配置でリングの外へ出る。

 

 

「はっ!」静子の呼吸が戻る。

一之瀬のあの迫力の呪縛から解き放たれた。

と同時に、加奈が立ってこちらを睨みつけているのがわかった。

 

(次のラウンドに持ち込まれたら薬が効いて不利になる!)

静子は焦った。

(これしかない・・・これしかない・・・)

静子の手が手刀の形になる。

そして一気に、1ラウンドに狙った部分、アバラ目掛けて打った!

 

ベキッと硬い音がした。

 

静子の突きに対して、加奈のパンチが真正面からぶつかけた来たのだ。

静子の指は折れた。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」あまりの痛みに叫び声をあげた。

「折れた!折れた!」誰に言うでもなく、静子は叫びながら自分の手を握っている。

 

「ここだ!」加奈の声がする。

 

「え?」静子が顔を上げると同時だった。

ストレートが静子の顔にめり込んで、そのままコーナーポストへはさみ打ちになる。

ドォォォォン!

「げぴゅっ・・・」

静子がマウスピースを宙に吐き出した。

静子は何とか意識を刈り取られずに済んだ。

「まだ何か・・・まだ何か・・・そうだ・・・折れてない手を手刀で・・・」

ズドォォォォン!

パンチは一発ではなかった。もう一発。

再度、静子の顔はコーナーポストと挟み撃ちになる。

加奈はゆっくり後退した。

 

 

「それ・・やりすぎ・・・ひ・・ひど」

バァッ!と静子は血を吐き散らした。

そしてダウン。

 

加奈は苦しそうに前かがみになった。

「注射のついでに・・・一之瀬さんから戦法を教えてもらっただけ・・・手刀に対する、拳の力」

加奈は倒れまいとフラフラしながらそう言った。

(・・・・・)

あおむけに倒れている静子にはそれが聞こえているのか聞こえていないのかわからなかった。

静寂。

 

(お と う さ ん に ぶ た れ る)

静子の頭にその言葉が浮かんだ。

(ぶ た れ る)

静子は暗闇の中でとりあえず立ち上がろうとした。

右手の折られた指が激痛を体中に走らせる。

本能で静子は立ち上がった。

(負けると今までの勝ってきた栄光が失われる)

指の激痛で意識が飛びかける。

(お と う さ ん に)

 

 

(ぶ た れ る)

 

全ての始まり、強さを渇望した日。

強いだけではいけない。カリスマ的存在でなければ・・・・。

 

指が折れたが、それがどうした。

関係ないね。

 

静子は左手でパンチを打てるように構えた。

 

 

三分経った。

ゴングを鳴らそうとする放送席(実際何の放送もしていないが)へ、一之瀬はリングサイドから叫んだ。

「ゴングは無しだ、逆に体力回復してガンガン殴りあうほうが危険だから、このまま続けて!」

 

静子がフックらしきパンチを打つ!

「げぴゅっ!」香奈の口から血が勢い良く飛び出す。

静子が少し間を置こうと、流れる汗をぬぐって香奈を見た瞬間

 

 

それは本能でも追いつけなかった。

香奈の背中が見える。

 

どしゅっ!!

 

「ぶは・・・」

静子のマウスピースと唾液と血があたりに撒き散らされる。

そしてひざをドンとついて、リングの上へ受身もとらずにグシャッと顔面から落ちた。

 

(もう・・・もう一発も打てない・・・立ち上がってきたらどうしようもない)

香奈は不安だった。

 

だがテンカウントが終わるまで、静子はピクリとも動かなかった。

一之瀬はササッとリング内に入ると、可奈の右腕を挙げる。

さすがに強烈すぎる試合だった為、客もまばらになったが、そこにいるほぼ全員が拍手をしてくれた。

そして静子は、敗者らしくその場に無様な格好うつぶせでダウンしている。

操り人形を上から落としたように手足の向きはバラバラ(折れてはいないが)になっている。

今までは見下す側だったが、今回は見下される番だ。

何のフォローも出来ない、みじめな格好。

 

それから少しすると、学校側が手配したのか救急車がやって来た。