《わたしはわたし》
奥田は視線を逸らしていた、その間にパンチを何発かは打てただろう。
しかし北野は打たなかった。
奥田に今の気持ちが伝わったかどうかだけが心配だった。
ふいに奥田が北野を睨んだ。
「くっ!」
小さくそう言うと、大きく振りかぶってパンチを打ってきた。
しかし北野の先ほどのパンチで足にキていた。
よろっとよろけると、奥田は北野に抱きつくように倒れそうになりながらぶつかった。
「あっ!」
北野は思わず奥田が倒れないように両脇をかかえる。
「バカッ!何。敵に塩送ってんのよ!」ケイコは叫びながらマットを叩く。
「え?」奥田を持ったまま北野はケイコの方を見た。
その瞬間に北野は自分の頭がグラッと揺れるのを感じた。奥田がフックを顎に当たるように打っていた。
「あれ?」妙な声を出して北野は大の字に倒れた。奥田は倒れずに何とか立っている。
(やっちゃった!?)北野はぐらぐら揺れる脳で必死に何かを考えていた。
(奥田さんを抱えて・・・えと・・・倒れないようにって・・・あれ?殴られた?)
カウントが進んでいるが北野には聞こえない。
そのまま横に向いてマウスピースをペッと吐き出す。
ゴロゴロと血の跡を残しながら転がるマウスピース。
(グロっ!)
空になった口から舌を出して唇のまわりを舐めると血の味がする。
(鉄臭っ!・・・あー・・・そうか・・・立たなきゃな)
両足をバタバタを動かしてみる。
(駄目だこりゃ、立てない・・・っていうかもう立たなくていいのかも)
「奥田さ〜ん、駄目だこりゃ」
自分の意思とは反して、すっとんきょうな声を北野は出してしまった。
まわりの反応を見ると、滑ったのが判る。
だが一人だけ笑顔の人がいた。
「さっきの分の借りね」
そう言うと北野の手を引っ張って立たせた。
奥田。
カーン
長い長い1Rの終わりを告げるゴングが鳴る。
「ほっ?」立たされた北野はまだ何が起こったか判らないようにぼーっとした目をしている。
奥田は少し笑顔を見せた後(笑顔というより笑っていたのかもしれない)、踵を返して自分のコーナーへよろよろと歩いていった。
「とうっ!」ケイコがリングに飛び乗り、北野の吐き出したマウスピースを拾って、北野にタオルをかけてコーナーへ誘導した。
「あれぇ?奥田さんが笑ったよー」
「あんたまだパンチ酔いしてるの?」夢の中のように話す北野に、ケイコは額をパシッと叩いてそう言った。
「奥田さんが〜」
「こいつまだアホになってるか!自分のマウスピースでも嗅げ!」
「くさっ!ってかグロっ!血まみれじゃあないですか!」
「これを洗うのが私の仕事!分かったらパンチもうもらうな!後、唾液出すな!」
「無茶いうなぁあはは〜」北野はかなり脳が揺れたらしい、おかしい。
「しょうがない・・・」北野を椅子に座らせたケイコは、バッグから何かを取り出して北野の口に突っ込んだ。
「ギャーーーーーーーーース!」
「レモンの輪切りね。目覚めた?」
「はい・・・」