後輩のしごと
「準備はいいな丸山?」
リングに上がろうとする丸山を引き止め、レンナは耳打ちをした。
「あの…準備も何も、まず試合に勝たないと…」
「それだけじゃーイカン! ちゃんとマウスピースを口の中で熟成させるようにだなあ」
熱弁するレンナの頭を、ゴスッと鈍い音を立てて小雪が殴りつけた。
「声がダダ漏れだバカタレ! 丸山は今のうちにリングに上がれ!」
レンナは頭を押さえながら、リングに立つ丸山に声を張り上げた。
「いいな! じっくりとだぞ! さもなくば…」
と言ってはまた部長にどつかれていた。
(しかし…)
丸山は目を見張った。レンナに見せられた写真よりも、リングの上の彼女の方が何倍も可愛らしかった。レンナが以前から目を付けていた他校の部員だ。
今日の練習試合にレンナが張り切っているのは、もちろん彼女、里宮のグッズ(特にマウスピース)を手に入れるためだ。
(恨みは無いけど、私の保身の為に。口の中のものいただきます)
方向性は間違っているのだが、レンナが部員のモチベーションを上げた稀なケースだった。
カーン!!
そしてゴングが鳴らされた。
おとなしそうな顔とは裏腹に、里宮は積極的にパンチを放ってきた。どうやらアウトボクサーではないらしい。
これは丸山にとって一つの幸運だった。判定に持っていかれると、マウスピースの入手など絶望的になるからだ。
丸山は相手のジャブをガードすると、果敢に打ち返していった。
バスッと大きな音を立て、実にすんなりと右ストレートが決まる。
(あれ、ガード薄すぎ…)
と、丸山が思う間もなく、二発三発と里宮のパンチが返ってくる。
(こ、これってガチガチのインファイターじゃん!!)
「巻き込まれる前に手を出せー!」
セコンドから小雪の指示が飛ぶ。
「ばぶばばー。びぶびばぼー」
どうやらレンナは拘束されているらしい。
(こうなりゃチキンレースだ!!)
丸山は腹を括った。頭がぶつかりそうな至近距離で交互にパンチをぶつけ合う。
しかしこれは、最近レンナに引っ掻き回されて練習不足の丸山にはこたえた。すぐに息が上がり、呼吸を整えたいのだが、里宮がそれを許さない。
(と、止まれっ)
頭を左右に揺さぶられながら、丸山は渾身の左ボディを見舞った。
「んぶっ」
里宮の動きが止まり、口から濡れたマウスピースが顔を出す。
(あ、これって…チャンス?)
息を整える前、殆ど反射的に振るった右フックが頬を捉え、里宮のマウスピースは高らかに宙を舞った。それを、
「でかした丸山!!」
いつの間に自由になったのか、レンナがしっかりとキャッチ。そのまま部室の外へと逃げ出していった。
「待てコラー!」
小雪もそれを追って駆け出していく。
それを横目で見つつ呼吸を整えていた丸山には、里宮の報復が待っていた。
無防備なアゴに、彼女の右アッパーが綺麗に決まった。
「ぶげらっ」
今度は自分のマウスピースを飛ばされた丸山は、キラキラと輝くそれを見ながら、笑顔を浮かべて失神した。
丸山、ミッションコンプリート。